南予医学雑誌 第17巻
8/90

南予医誌 Vol.17 No. 1 2016-6-子育ての文化が繋がらない。夜中に発熱した子供を抱えて不安が増大する。相談する相手もなく,夜間の救急に駆けつける。ましてや少子化で一人とか二人とかしかいない大切な子供である。この子にもしものことがあったらと必死の思いで病院へ向かうのだ。子供だけではない,成人の時間外外来も右肩上がりであった。何故か。老人だって不安でいっぱいなのだ。地域に十分な産業の受け皿がない田舎では,若者は仕事を求めて都会へ出る。残された老親は子供たちのいなくなった家を守っている。独居の老人はもちろん不安だし,老老介護の老夫婦だって連れ合いにもしものことがあったらと,時間外外来を訪れる。かくして右肩上がりの増加となる。 こうした時に1998年大阪でインフルエンザ脳症の子供がなくなるというニュースがあった。大阪は1次,2次,3次と救急体制がしっかり敷かれている地域である。インフルエンザ脳症に罹患した児は1次救急病院から順に2次,3次と病院を移り,最終的に居住地の近くの大学病院で亡くなった。何故我が子が亡くならねばならなかったのか,最初から何故近くの大学病院に運んでくれなかったのかと親御さんは考えた。担当した小児科医はそれぞれ懸命に診療をしてくれていたことは十分承知をしている。が,いろいろ調べてみると,救急体制の仕組みに問題があることに気が付いた。子供が亡くなってしまったのはそれが原因と考え,親御さんはそのことを世の中に訴えた7)。小児科医はそれまで長い間救急外来の過酷さを訴え続けてきたが,その声は届かなかった。というよりむしろ,子供が好きで子供のために医師の道を選んだ小児科医は,多少の大変さがあっても親の気持ちを慮って自身の大変さを口に出すのを差し控えていたというほうが当たっているかもしれない。しかし,それまで自身の窮状をいくら訴えても声が届かなかったところを,この親御さんの訴え以後小児医療の現状を世の中が知ることになり,2007年には兵庫県加古川市の「県立柏原病院小児科を守る会」の設立を見るに至る。これは,県立柏原病院小児科の医師が次々と辞めていき,残った1人の医長も辞めざるを得ない状況に追い込まれていることを地域住民が知ることになり,柏原病院小児科を維持するために立ち上がった話である8)。地域のお母さんたちは,無用な時間外受診を控え,小児科医を守り,小児科医と共に(図6)市立宇和島病院の救急(時間外)外来の年次変化

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る