南予医学雑誌 第15巻
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岡部:なんよだより南予医誌 Vol.15 No. 1 2014-103-いっては以前よりも頻繁に行くようになった。よく,患者さんに「治ったのですか?」と心配されるが「治ってはいませんがめまいに慣れました」と答えている。これは本当で,3月の検査でも頭位性の眼振はよくなっていなかった。単に「めまいを感じる神経が鈍感になった」だけのようである。 61才にしては同級生と比べて元気だと自慢していたが,めまい,耳鳴り,難聴,腰痛,白髪で,字を書けばへたくそとくれば立派な老人である。自虐をこめて「年老いたスーパーマン」と言ったらうちの職員・家族におおいに受けてしまって気に入っている。ただ,これから認知症になったらどうしようと思うようになった。兆しはすでにある。同じジョークをしばしば言うようになった(職員は薄ら笑いをしてくれる)。一度聴診器をあてたのを忘れて二度あてようとした(若い女性ではありません)。薬の名前が出てこない(医療秘書に聞くようにしている)。挨拶されても誰だったか思い出さない(笑って知ったふりをする)。挨拶が長くなるので注意しているが誰も注意してくれなくなる。など,すでになっているかもしれない。認知症の患者さんの気持ちがよくわかるようになり,診察が何となく楽しくなって心配になっているが,今のところこれを逆手に取って認知症診療の愉快な面をみるようにしている。 先日も,長谷川式の認知症テストをしたら,「今日は何曜日ですか?」に「わしには用がない!」といった老人がいた。「野菜の名前を10言ってください」にはほとんど答えられず,しばらくして「魚にしてくれたら答えられる」といった。テストはあきらめて「食欲はありますか?」と聞いたら「ものによる!」といって,皆を笑わせた。しっかりした人かと思うと妻の名前が言えなかったりする。こういう人に限って,身なりがよく,男前なので騙されるので注意している。 がんセンターで診ていた患者さんが,治って長年経たあとに認知症になって愕然としたことがある。今ではがんに代わって一番怖い病気は認知症となった。認知症の診療と,終末期の看取りの医療をしないと医療・介護の世界は成り立たなくなっている。北宇和病院は,地域の完結型医療の拠点として連携室を中心として,住みやすい町をめざしてがんばっている。若い先生もいるので,私がぼけても何とかなると思っている。認知症をみる医者が認知症になったというのもユーモアがあっていいのではと思っている。医師は自分の専門の病気になると言うではないか。旭川荘の医師には定年がないので,現役でいる間に十分可能性がある。私の愛読書はスキナー博士の「初めて老人になるあなたへ」で準備は万全である。会員の皆さんにもおすすめする。「本性が出るというから呆けられぬ」という川柳がある。皆さん!ゆめゆめ油断なされぬように。

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