南予医学雑誌 第13巻 第1号
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南予医誌 Vol.13 No. 1 2012-72- 定年を迎える。40年近くを検査技師という仕事に就いてきた。かなり長い期間のように思えるが,マイペースでやって来た自分にとってはそれほどでもない。つい昨日のように思い出せる事も多々ある。今回たまたま原稿依頼があり,若い頃を振り返って見ることにした。 高校を卒業後,愛媛県立衛生検査技師養成所に入った。人並みに進学で悩んでいるとき,学校の図書館で何気なく見ていた本で初めて知った。何故か惹かれるように全くノーマークのこの道に入っていった。今振り返っても不思議である。 2年目の夏,当時の市立病院の技師長から病院を見に来ないかと誘われ,宇和島に来た。病院屋上でこれからの検査を語り,またなぜか控室に集まっていた皆さんに紹介された。この頃は今と違って就職先は多く,決めかねている時,衛生研究所の先生から「細菌検査をやりたいなら宇和島で2年位勉強して来い」の一言で決心した。 定年を迎える 竹 林 勝 久 市立宇和島病院 臨床検査科 就職時に試験はなく,面接だけだった。院長の「2,3年で帰ることはないでしょうね」と言う質問に「どうでしょう」と答えたが,そのままずっとここに残るとは当時思ってもいなかった。 昭和47年4月1日,この日が初出勤である。当時の病院規模は(表1)の通り。2階玄関で靴を脱いで受付の人に渡すと,木札をもらった。土足厳禁である。スリッパに履き替え3階に上がると,検査科がすぐ見つかった。当時は現在のようにオリエンテーションはなく,初日からすぐ仕事を始めた。と言っても,のんびりしたものだったが……。 今に続く当直業務もこの日から始まった。宮下の病院住宅に住む独身男性技師2人に呼び出しが集中し入院する事態となり,技師全員で当直体制を検討し,医局と相談して測定項目を決定したと聞いた(表2)。測定法はともかく現在とほとんど変わりない検査項目に驚かされる。その当直初日は全く検査依頼がなく,当直日誌は真っ白だった。今ではとても考えられないことでよく覚えている。 検査科の人員構成は技師14名,技術員7名,洗浄員1名。この2年で7名の増員,受稿日 平成24年1月20日受理日 平成24年1月20日連絡先 〒798-8510 愛媛県宇和島市御殿町1-1 市立宇和島病院 臨床検査科 竹林 勝久

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