南予医学雑誌 第13巻 第1号
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南予医誌 Vol.13 No. 1 2012-70-きた(図21)。空港に向かうタクシーの中からもその山がよく見えることから, “運転手さん,あのなだらかな形の雪をかむった山の名前はなんと言うのですか?”と。尋ねた。 “ああ,あれは月の山,月山ですよ。” “小説の山とイメージが全然ちがいますねー。” “中島敦先生の小説ですよねー。こちらからはなだらかですが,向こう側からみた月山は厳しい山ですよ。” 湯殿山,羽黒山と合わせ出羽三山と呼ばれる月山。今回の震災で被害を受けた東北,関東の1日でも早い復興と一刻も早い不明者の発見を祈りながら機上の客となった。今回の支援活動で私は生きていることの幸せ,普通の生活が出来ることの幸せをひしひしと感じている。帰りの飛行機便は, JAL1254山形(11:00)→東京, JAL1465東京(13:05)→松山 松山空港からは岩村さん,椙山さん運転の車で宇和島をめざし,夕方市立宇和島病院に到着。はからずも非常に大勢の職員の出迎えを受けた。私としては当たり前のことを行っただけと思っているので,人知れず翌日の任務につければ最高であった。III.おわりに 今回私は当院の他の5名と一緒に震災後ほぼ2ヵ月の被災地で医療支援の一環のお手伝いをすることができた。「チーム宇和島」として私の描いた支援のお手伝いができたと思っている。今回の経験をもとに私の考えている災害に対する組織のあり方について記載したい。①マニュアルあるいは前例について マニュアルを守りさえすれば良いとする考えは今回のような予測を超えた事態では全く意味をなさない。前例に捉われた行動も役に立たない。マニュアルを遵守した組織の被害が甚大であったことはこのことをよく示している。当院の日常の運営にもマニュアルの遵守は最低限の行動規範であることを個々が肝に銘じ個々の知恵の活用にこそ意を注がねばならない。緊急の場に遭遇したとき我々は如何に行動しなければならないかを各人が考え,また所属する組織ごとにも考えながら日々の生活を送ることの重要さを思い知らねばならないと思う。②支援活動のあり方について 当院は災害拠点病院であるが,今回実施した災害医療派遣参加希望者は全医師の中で僅か6名であった。希望しなかった理由には色々あると思います。テレビに映しだされる映像から災害現場は想像されるところですが,想像力の低い人はそこへ出かけることを危険と判断してしまうのでしょうか?また,組織の指導者は自分の意図する点を部下に理解させるにはまず自分がやって見せること,そして意図する流れを作っていく事が重要と思う。福井大学医学部の「寺沢秀一」教(図21) 山形空港からみた月山月山

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