南予医学雑誌 第13巻 第1号
60/84

南予医誌 Vol.13 No. 1 2012-58-以前よりマニュアルを作り,訓練を実施して大規模災害に対する十分な準備を行っていた。これから起こるかもしれない災害に備えて,全ての事を予測してそれをマニュアルに書き込むことはできない。マニュアルは,災害時にわれわれ医療人が行わなければいけない最低限の取り決めであり,マニュアルに基づいて訓練を繰り返すことで大切な約束事をしっかり身につけることができる。さらにそのことが次へのステップである,数々の応用問題を解決するための根本になるということを彼は強調していたのだ。 振り返ると市立宇和島病院の現状は,どうであろうか?災害訓練を過去にわずか2回行い,災害マニュアルはあるが,改善すべき点は多い。当然職員全てに十分浸透しているとは言い難い。数年後に起こるかもしれない南海大地震に,われわれは石巻日赤のように立ち向かうことができるのか?愛媛県においても,全県的な取り組みとしてようやく災害医療ネットワークが立ち上がろうとしている。石巻日赤の事例でもわかるように巨大地震災害において,地域の基幹病院だけで当然対処できるものではなく,全県的あるいは全国的支援が必要である。しかし支援が到着するまで,宇和島地域住民のためにわれわれは自立的に出来る限り最大限の医療を提供しなければならない義務がある。災害時の備えとして,現状においてわれわれはわずか一歩を踏み出したに過ぎないが,時間は待ってくれないことを肝に銘じつつ災害医療に今後真剣に取り組んでいかねばならない時期に来ている。把握できていない状況ではないかと感じていた。予想に反して大震災後の行政がほとんど機能していない中でも,石巻日赤に集まった日赤ネットワークを中心とした医療者達はしらみつぶしに各地の避難所をめぐるローラー作戦を行い,各避難所の被災者数や衛生,健康状態などを独自に調査した。つまり行政の力を全く借りず,早々に必要不可欠な避難所マップを作成し有効に活用していた。その運用体制を支えた要因として,石井本部長を中心としたスタッフの連中が,各避難所に派遣していた医療救護班からもたらされた情報を分析し,翌日早朝までに分析結果を反映させた医療救護活動の計画表を作成するというような日々の膨大な仕事量を粛々とこなしていたことにあった。われわれはその様子を目の当たりにして,非常な驚きとともに強い畏敬の念が湧く思いであった。医療救護班個々の活動は微力であるものの,合同医療班本部の指揮のもとでわれわれも大街道小学校という中規模避難所の医療活動に3日間であるが従事し,3月25日石巻日赤をあとにした。 昨年10月日本救急医学会総会に参加した折に,石井先生の石巻日赤における震災医療についての講演を聞く機会を得た。その講演の中で私が印象に残った言葉は,“今回の巨大地震や大津波による被害はかつて誰も経験したことのないものであり,当然これまで自分達が作っていた災害マニュアルでは対応できるはずもなく,その都度自分達で頭を使い解決しなければならない応用問題の連続であった”ということである。だからと言って彼は,前もって災害マニュアルを作り,そのマニュアルに基づいて災害訓練を行うことが意味のないものであると言っているわけではない。石巻日赤では,

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です