南予医学雑誌 第13巻 第1号
59/84

南予医誌 Vol.13 No. 1 2012-57- 東日本大震災が起こって,もう早一年が経とうとしている。 平成23年3月11日,午後3時過ぎ地震発生の緊急速報がテレビ画面に流れた。私はその時ICUで普段の日常とはなんら変わることなく働いていた。しばらくして津波が平野を飲み込むように内陸へとすさまじい勢いで進んでゆく映像が映し出された。これまで日本では見たこともない光景で,漠然とではあるが何かたいへんなことが起こっているのではないかと強い不安を感じた。2,3日が経ち,地震の規模と現地の被害状況がおおよそ分かってきた。やはりマグニチュード9以上の巨大地震であり,また地震による想像を絶する大津波のため数万の人々が被災し,一刻も早い救助をもとめていた。しかし現地の救護体制を含めた正確な情報は少なく,さらに原発事故による放射線被曝の問題なども発生し,事態は複雑化していた。そのため当院から安全に人員を派遣できるかが争点となったが,私は未曽有の災害時であり躊躇せず早急に派 東日本大震災の医療救護活動を振り返って 高 崎 康 史 市立宇和島病院 麻酔科遣すべきであると主張した。議論の結果私を含めて医師2名,看護師2名,事務方1名の編成で医療救護班が派遣されることになったが,愛媛県内では県立中央病院,松山日赤のチームに次いで3番手であった。 われわれ医療救護班は,3月20日に宇和島をワンボックスカーで出発,北陸の敦賀からフェリーで3月22日早朝秋田に到着した。さらに陸路秋田から北上市を経由して東北自動車道を南下,約1日半の行程で石巻赤十字病院(石巻日赤)へ入った。石巻日赤は,6年前に新築された7階建の402病床をもつ地域基幹病院で,免振構造も備えており,幸い海岸から離れていたため津波による被害を免れていた。石巻日赤を拠点として,3月20日に石巻合同医療班が発足し,全国から救護にやってくる医療班はこの指揮下に入り,避難所における被災者の医療活動を中心に行うことになった。合同医療班の本部長には,宮城県災害コーディネータでもある石巻日赤の石井先生(本来外科医)が就かれ,運営に関して災害医療での実績を持つ他院の日赤チームがスッタフとしてサポートしていた。われわれは地震発生11日目に被災地に入ったが,被災地はまだ混乱の真っただ中であり,どのような医療が必要とされているかなど十分に受稿日 平成24年3月6日受理日 平成24年3月6日連絡先 〒798-8510 愛媛県宇和島市御殿町1-1 市立宇和島病院 麻酔科 高崎 康史

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です